【老後が先か、セミリタイアが先か】そしてジジになる

私にはセミリタイア(経済的自由の達成)という目標があります、近く相続でまとまった財産を受け取る予定ではありますが

まだまだ目標額には遠く、基本的には今以上に仕事をぬかりなくこなして、貯蓄を投資に回すフローを繰り返す必要があるでしょう。

これは出来るだけ長い時間をかけて、時間的な早さを犠牲にしても確実性を重視した方がいいだろうというスタンスでいます。

そうなるとセミリタイアするというか、セミリタイア=経済的自由の達成がほぼジジイになってからの可能性になる事も充分視野に入ります(本当は今、アラフォーの内にセミリタイアしてウダウダ過ごしてみたいのですが)

ここで1つ問題があって、私は今独身ですし、我が一族は原則的に身内をホイホイと助けないような雰囲気があります、、、

金があっても、老化から来る怪我や病気だ認知症だと来たら「どうしようもない事もない」とは思いますが、ヘッチャラ!というワケには行きません。

つーか、上の姉二人の介護問題もうっすら背負ってる気分なんですが、二人にしたら余計なお世話なんだろうか。。。

暗い話はさておき、お陰様で現在セミリタイアとまでは言わずとも、週3回はジムなりプールなりに行く程度の余裕はあります(公営で立地的にも近い場所なので可能な感じです)

そこでよく一緒になる高校の同級生と言葉を交わすのですが、育児の大変さを感じると共に

(なんだかんだで俺らがジジイになる頃には、彼の子供は成人か、、、)

と思うと正直羨ましいものがあります、大体は、何かあれば助けてくれるではないですか。

逆に子供に何かあればという話でもありますが、とりあえず助け合う構図というのはあまり崩れないのが日本社会でしょう(ウチは例外です)

独りぼっちの身である私としては(これは普段の社会生活に於いてという事ではなく、血縁的な所で成り立つ相互扶助という事で)

 この「老後は誰が面倒見る段取り組んでくれるだろうか?」という真綿で首を締めるような不安があります。

最終手段は成年後見人を自分につける事かな。

まあこれも自己責任というか、自分のカルマなのかなという部分があります

そういう暗い話はさておき、自分の同世代の大半が自分がジジイになる頃には少子高齢社会とはいえ、自分の子供が成人した姿をジジイになったカラダでもニコニコと微笑んで見つめていられるのでしょう。

もしかして、今通い始めて3年位経つジムで30年後に、普段言葉を交わす同級生に「最近ウチの生意気な息子が可愛い孫連れてくるようになってな~」というセリフが聞けるかもしれません。

そうであるならば、その日その時に微笑みを浮かべて言葉を交わせる自分でありたいなと思います。

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